オリンピックと東京 1964年
首都高開通と同時期には、東京・浜松町-羽田空港間を15分で結ぶ東京モノレール羽田線が営業を開始。
首都高速道路の1号線の本町-羽田間、2号線の銀座ー汐留間、4号線の江戸橋-初台間が開通した。
開催前の夏休み、「聖火がそこまでやってきた」と題したオリンピック展が日本橋三越で開催され、親子連れなどでにぎわった。
東海道新幹線が営業を開始。大阪まで6時間50分かかったのが4時間に短縮され、「夢の超特急」と呼ばれた。
都庁舎には、オリンピックのエンブレムと参加各国の国旗が掲げられた。
選手宿舎などに使われた後方の鉄筋アパート棟は、大会後、国立オリンピック記念青少年総合センターとして活用された。
約7千人の選手団が生活した選手村の厨房では、都の食品衛生監視員が食材などを厳しくチェック。
鹿児島、宮崎、北海道の3ヵ所からスタートした聖火リレーは、全国を経由し東京に入った
聖火リレー東京都実行委員会の出口会長の手で、聖火が掲げられた。
千駄ヶ谷・明治公園の一角に設けられた臨時の観光案内所。日光や伊豆などの観光地をアピールするため、1都5県の担当者が海外からのお客様を迎えた。
聖火が、最終ランナーの手で、163段の階段を登りきった聖火台に灯された。
約5千人の選手を、7万人を超える大観衆が、盛大な拍手で迎えた。
94の国・地域の旗がはためく中、昭和天皇により開会が宣言された。
大会期間中、宿泊施設不足を補うため、一般家庭でも各国からのお客様を受け入れ、400人以上が利用した。
日の丸を持つ日本選手団の旗手を担ぎ上げ、仲良く行進する各国の選手たち。
オリンピック閉会後の11月8日から12日まで、パラリンピック東京大会が開催された。
車イスバスケットボール「日本対フィリピン」の熱戦(11月10日)
この大会には22カ国から選手・役員ら約600人が参加、日本選手団は金1、銀5、銅4の成績を残した。
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