昭和30年代
小河内ダムの建設工事進む|昭和30(1955)年1月25日
昭和32年11月、約20年の歳月を費やし、奥多摩町に紆余(うよ)曲折を経て“都民の水がめ”小河内ダムは完成した。
在りし日の数寄屋橋|昭和30(1955)年3月29日
人気ラジオドラマ『君の名は』の舞台として有名になった数寄屋橋。昭和33年、高速道路工事に伴い姿を消した。
都電が走る銀座通り|昭和30(1955)年6月20日
都電が走り、青々と柳がそよぎ、人々は“銀ブラ”を楽しむ。古きよき時代の銀座通り(4丁目付近)。
道路で遊ぶ子供たち|昭和31(1956)年7月25日
新宿区若葉町。日当たりの良い道路で遊びに熱中する子供たち。当時、道路も立派な遊び場だった。
開都500年記念大東京祭|昭和31(1956)年10月3日
昭和31年10月、太田道灌の江戸城築城から500年を祝って、全都をあげて大東京祭が盛大に行われた。
ネルー首相が上野動物園に来園|昭和32(1957)年10月8日
インドのネルー首相が来日。上野動物園で日本の子供たちへ贈ったゾウのインディラ嬢と再会した。
夢の島ごみ埋め立て開始|昭和32(1957)年11月5日
急増するごみに対処するため、東京港14号埋立地「夢の島」を処分場に決定。昭和32年暮れ、埋め立てが始まった。
東京体育館屋内プール完成|昭和33(1958)年7月29日
昭和33年3月、東洋一を誇る東京体育館屋内水泳場が完成。都民のスポーツ活動の拠点として親しまれることに。
狩野川台風の大雨で道路も川に|昭和33(1958)年9月27日
狩野川台風(台風22号)の来襲で東京は浸水33万戸、死者16人、行方不明33人と戦後最大の被害に見舞われた。
東(あずま)知事初登庁|昭和34(1959)年4月28日
都知事に東龍太郎氏が当選、13年間続いた安井都政からバトンタッチした。
昭和33年12月、高さ333mの電波塔「東京タワー」が完成。近年、昭和レトロブームにより人気が再燃。
大八車によるごみ収集|昭和35(1960)年6月18日
当時こんな光景が町のあちこちで見られた。ごみ収集作業は、翌昭和36年には大八車から自動車に切り替わった。
玉川通り(新道)整備|昭和35(1960)年9月14日
交通量の増加にともない道路の整備が進められ、玉川通り(国道246号)も世田谷区新町から瀬田まで新道が開通した。
自動車で混雑する祝田橋交差点|昭和35(1960)年9月14日
昭和30年代にマイカーブームを迎え、自動車の台数は驚異的に増加した。特に混雑の激しかった祝田橋交差点。
都営地下鉄1号「浅草線」開通|昭和35(1960)年11月30日
都営初の地下鉄として昭和35年12月、都営1号「浅草線」が開業(浅草橋~押上間)した。昭和43年、西馬込まで全線開通。
楽しい給食の時間|昭和36(1961)年1月25日
昭和36年当時の学校給食風景。アルマイトの食器に脱脂粉乳、コッペパンがあの頃の定番メニューだった。
上野駅13番線ホーム|昭和38(1963)年5月10日
列車が着くたびに地方から人々が東京に集まってくる。昭和37年には、ついに都の人口は1,000万人を突破した。
レンコンの取り入れ|昭和38(1963)年5月29日
田植えも終わり、農家はレンコンの取り入れに忙しい。江戸川区篠崎付近はハス田の広がるのどかな田園地帯だった。
蒸気機関車が並ぶ尾久操車場|昭和38(1963)年9月13日
上野駅を発着する中長距離旅客列車の車両基地・尾久操車場。昭和30年代はまだ蒸気機関車が活躍していた。
川蒸気に曳(ひ)かれた佃の渡し|昭和38(1963)年11月26日
江戸以来続いた“佃の渡し”は昭和39年6月、佃大橋の完成により320余年の長い歴史に幕を閉じた。
水不足深刻 応援給水が続く|昭和39(1964)年8月14日
昭和39年夏、東京は深刻な水不足に見舞われた。長く暑い砂漠のような生活から「東京砂漠」と呼ばれた。
東京オリンピック開会|昭和39(1964)年10月10日
昭和39年10月10日快晴。アジアで初の五輪「東京オリンピック」が開会し、94カ国5,558人の選手が参加した。
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