昭和20年代
上野地下道の人たち|昭和22(1947)年2月1日
終戦から2年、まだ戦争の傷跡が消えぬ東京の街には家も仕事も夢も失った人々があふれ、この地下道では凍死者が出た。
東京都公安条例反対デモ|昭和24(1949)年5月30日
集会等の規制を定めた東京都公安条例に反対するデモが旧丸の内都庁舎議事堂前で行われ、多くの人が参加した。
子供たちに話しかける女性警察官|昭和26(1951)年
警視庁は昭和21年に全国で初めて女性の警察官63人を採用、少年係と交通係の担当として配属した。
最盛時13,000軒を超えた露店は都民の生活を陰で支えていたが、この年を最後に常設露店は都内から姿を消した。
高速道路が架かる前の日本橋|昭和27(1952)年7月22日
昭和39年の東京オリンピックを境にこの橋の景観は大きく変わった。この頃はまだノンビリと橋上を都電が走っていた。
開閉していた頃の勝鬨(かちどき)橋|昭和27(1952)年
かつて船が上流の倉庫に出入りするために開けられていたこの橋は、昭和45年を最後に開かれることはなくなった。
車の音を測定する係員|昭和29(1954)年2月1日
自動車の増加に伴い騒音防止条例が実施され、ここ銀座4丁目交差点では係員による測定が行われた。
終戦の混乱から脱却したものの世の中は大不況。神田駅ガード下ぬかるみ道の飲食街には「雪の降る街を」が流れていた。
新宿駅付近のバラック|昭和29(1954)年2月18日
戦後10年が経過したとはいえ、東京の街にはまだこうした板張りトタン掛けの簡易住宅を建てて生活する人たちがいた。
ばい煙の丸の内ビル街|昭和29(1954)年2月18日
ばい煙による空気汚染が問題になり、都は都心部の547のビルに対して抑制の協力を要請した。手前は旧三菱九号館。
ビキニ被爆マグロの検査|昭和29(1954)年3月22日
アメリカのビキニ環礁水爆実験で第五福竜丸が被爆、検査で獲れたマグロから放射能が検出された。
記念品を渡す安井知事|昭和29(1954)年12月22日
セイロン(現スリランカ)首相が都庁を来訪。初代都知事の安井誠一郎氏が記念品の「都の鍵」をプレゼントした。
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